古巣のつどい

【電気系】電気学科 1957(S32)年卒「七夕会」 50周年記念同期会 開催報告

 七夕会の前身は卒業後同窓の中で、結婚した学友を祝う為に開いた会で毎年の様に結婚が続いた。

 京阪神在住の学友は10年近くで殆ど結婚した。従って祝う会として集まる機会がなくなった。このままでは今後集まる事が無くなるのではとの思いが、何人かの声として出てきた。そこで形を変えた集まりつまり同窓会としてスタートした。年一回会う事から「七夕会」と名付け、京都組、大阪組が交互に幹事役をし会場を選んだ。開催日も7月7日に近い土曜日とした。京都、大阪以外に七夕会のメンバーの住む地域に遠出をした年もあった。昭和35年(1960年)には徳島に在住だった石川氏(旧近清氏)のセッティングで徳島の観光と鳴戸カントリーでのゴルフ。次は阿波踊りに、同志社大七夕会の「にわか連」として参加しようとの話が出ていたが、その後石川氏の急逝ため実現しなかった。

 昭和51年(1976年)には関西電力美浜原発勤務だった藤川氏の案内で美浜原発を見学した。当時は原発に関しては静かな時だった。

 平成9年(1977年)は長野県に在住の味澤氏(旧小松氏)のプランニングで冬期オリンピック開催の前年にチャーターした観光バスで各会場を案内して頂いた。七夕会の為事前の下見を含めて大変時間を掛けて頂いた。

 GM会は熱心に毎年集まったわけでもありませんし、その時々の幹事の気の向くままに集まって来ました。現在のメンバーは、西は福岡県、東は東京都、でもほとんどは関西に住んでいます。会の開催地はほとんどが京都、そして岐阜、神戸、熱海、東京でもやってきました。京都で開催の時はいつも懐かしい同志社キャンパスを散策しました。

 平成19年(2007年)は、七夕会のメンバーにとって卒業50周年を迎える事になった。森淳氏の発案で、卒業50周年記念の植樹をすることが決まった。植樹の主旨に28名の賛同を得た。平成19年(2007年)3月6日京田辺校地の有徳館西館の中庭に植樹した。木の名は「ハンカチの木」。当日は片山副学長、松岡工学部長、岡工学部同窓会会長、大鉢教授の方々にご出席して頂いた。

 平成19年(2007年)に迎えた50周年記念の七夕会は京都の宮町町のお屋敷で三味線、踊り、芸子、舞子と艶のある処を京都組が選んだ。

 平成23年(2011年)は京都市伏見区にある月桂冠大倉記念館を見学した。十石船に乗り暫し、静寂な川下りを楽しみ、昼食をする店に向かった。

 上記の他有馬温泉、高槻温泉の湯にも浸かった。昭和の年代には恩師にも参加して頂いたが、その後はご高齢ということもあって、段々と同窓だけになって来た。卒業の年、昭和32年(1957年)の春から始まった同窓の集いは、平成26年(2014年)迄57年間続いている。

 この間音信不通や鬼籍に入られた方々も多く、卒業時から比べると現在連絡が取れるのは約半数となった。

 同志社大学に入学したことが、何かのご縁で、こんにち至るまで毎年語り合えるのは、各自が選んだストーリーのような気がします。このストーリーの終りには誰にも分かりませんが、元気な姿で一人でも多く、一年でも長く続く事を望んでおります。ご縁は大切にしたいものです。

奥村 八郎(電気学科 昭和32年3月卒業) 記